東京都板橋区在住鼻もげたさん 1995年10月入会
1995.9.30
はっきり言って、冷やかし半分で体験レッスンにやってきた。ヴォイストレーニングを始めようと思い立って、愛読雑誌(Playerさっ)を読み漁り、3つの学校へ問い合わせの葉書を出した結果、早々にお電話を頂けたことと、他の二つと比べて圧倒的にお値段が安い(入会金だけで10倍もするところもあったのだ)、という点が気に入ってまずはやってきたのだ。気に入ったものの、どう比べてみても、実績も表立っていないようだし、聞いたこともない先生だし、来てみればどうやって建物に入るかもわかりにくい小さな教室だから。
しかし、私は間違っていた。こういうものは実績ではない。いや、言い換えれば知名度ではない。たったの50分間の間に、今まで経験したこともない発声を体験したのだ。この26年間、一度たりともこんな風に身体を作用させた記憶はない。先生がおっしゃるには、重度の喉声とのこと。今まで10年以上も腹から声を出すなどということとは無縁で歌を歌ってきたからだろうか。
私はショックのあまり即座に入会を決め、週二回通うことも決めた。無職の私は生まれて初めてやってきた阿佐ヶ谷中杉通りに停めてある車へもどり、先ほどと同じ感覚を味わおうと試みた。性急に息を吐き、性急に気を静め、息で歌ってみる。苦しい。しかも喉が痛い。二度ものショックは、ここで腹を括ってしばらく教えていただこうという謙虚な気持ちを起こさせた。
1995.10.4
呼吸の練習をしてみる。しかしこの、息を吐くだけという練習は、退屈すぎて実感も伴わず、あまり熱心になれない。身体が大きいので、肺活量にはなんとなく自信があり、長く揺れない息を吐くのも難なく出来ているような気がして、寄る辺がない。開けているつもりだった口が、全然開いていなかったことを指摘される。小さい頃からものをはっきり喋らないと言われていたことを思い出す。
しかしいかに完全個人レッスンのマンツーマンとは言え、狭い部屋に自分の声が響きわたるのは、とても緊張するものだ。
1995.12.16
息を吐いて、そこに声を乗せる。なんとなく、その感じが分かってきた。フレーズの語尾に息がこぼれるように歌うと、なんだかそれっぽい気がしてきた。友人の結婚式のために作った歌を録音したものは、それがなんとなく上手くできたような気がする。
先日のライブでは、24曲目にして声が裏がえってしまった。腹から腹からと思っても、どうしてもどこか力が入ってしまうようで、悔しい。喋る声が響くようになってきたのか、声が大きくなったように思える。ただ、口を開こうとすると、なんだか顎から喉に違和感を覚えるのはなぜだろう。でもとにかく声が大きくなってきたみたいで、嬉しい。半年も通ったのだから、と思いたい。
1996.7.11.
四つん這いになって、延々とほはほは言っていると、本当に犬か猫かになってしまったかのように思えてくる。でも、お腹を引っ込めやすいし、引っ込めた分、声が出て来るみたいでこの姿勢でライブをやってみたいなんていう気持ちになってしまう。声が出るということは、とても嬉しいことなんだ。しかし、いつまで経っても、なめらかなハミングがよく分からない。ちょっと喉を動かしてみると、鼻にかかった音になるんだなあっと思うくらいのことだ。なにをどうしたらいいのだろう。
1996.10.8
私は正直、歌に自信がなかったので、カラオケもあまり好きではなく、「売れない歌作って歌ってるみたいだけど、実はへたっぴぃじゃん」という仲間内からの視線を浴びるのも恐かったので、極力ライブ以外で人前では歌わないようにしていた。そして、レッスン用に誰かの歌を選んで歌うということが厭で厭で仕方がなかった。しかし先生は、Hさんはそれじゃあ基礎をひたすらやりましょう。基礎さえしっかりすれば、Hさんなりの歌い方をすればいのだからとおっしゃって下さり、自分で作った歌を練習台にしている。今日からまた違う歌を使ってみるのだ。録音した時よりは低めのキーでコード譜を書いて渡した。にもかかわらず、この歌では昔に録音した当時の歌い方をしてしまう。どういうことなんだろう。また、呼吸。
一年以上も通って来たことに気がつく。声はずいぶんとマイクに乗るようになってきたようで、声量についてだけは、誰にも何も言われなくなってきた。「でもな、ガガガッと歌うばかりが能じゃない」とも言われるようになってきたのだ。どうしたらいいんだろう。息を出そうとすれば、どうしたって声も出てきてしまう。先生は、活舌の悪さをしきりに指摘する。50音を均等に響かせる。つらい。「え」段がかたい。
1997.3.10
今更ながら、呼吸の練習の重大さに気がつく。どうしても、呼吸時に胸が大きく動いてしまう。力で押し出すばかりでは、胸につかえたような硬い響きが、自分でもうざったい。「危機感が足りない」と言われて、返す言葉がない。
1997.6.20
このところまるで進展がないように自分でも思える。それどころか、声を出せばはじめの頃に飽きるほどやった「静かに息を吐く練習」をやらされるこの頃。風邪を引いてしまいましたと、仮病を使ってレッスンをお休みする。そんな自分にも疲れてしまった。半年か1年もやってみれば、明かりが見えてくるだろうと思っていた自分はやっぱり甘かった。
1997.10.22
ライブをやって、「小さい声が出るようになりましたね」と、言われた。まだまだ顎が硬いのを実感しながら、自分の体の状態がつかめるようになってきた気がする。
あるとき、誰も辺りにいないような住宅造成地を大股で歩いていて、息がひどくスムーズに、胸のあたりを通過していき、上半身から声が放射状に響くような不思議な感覚を覚えた。もしかしたら、これかもしれないなぁと、大きな期待を抱かずに、イメージを作ることに精を出してみた。
つづく